10月8(土)・9(日)・10(月・休)には是非とも広島へ!
エントロピー学会第23回シンポジウム
「核の60年 ‐ 平和・環境・エントロピー」
10月8(土)・9(日)・10(月・休)には是非とも広島へ!
核の60年とは、核の利用とヒバク=核の被害の60年です。ビキニの被曝から始まった原水爆禁止運動が50年を経た今年になっても、5月のNPT再検討会議の挫折が象徴するように、このままの方向で核廃絶への展望が見えてくる兆しはなく、ヒバク=核の被害はヒロシマ・ナガサキから60年の今もつくられ続けています。核の60年という標題は単に過去を振り返るということではなく、時の流れの中で、そこを節目に変わるべき次の方向を見晴るかそうというベクトルの原点です。
世界の核廃絶を求める声が上げ続けられても、核兵器を維持・開発しているシステムの中では核物質とお金の流れが持続しているのはなぜなのか。シンポジウム「核の60年 ‐ 平和と軍事のはざま」では核物質の流れの全体をたどって、流れを支えている構造、そして被曝を作り続ける構造の問題を見透かすことを考えます。生きている系が周りの環境との間で流れを持続させ得る条件を考えるエントロピー論の発想から、核のない平和を追求するための一つの方向を示すことにもなり得ればよいと願っています。
一方、平和という問題への正面からの取り組みは、これまでのエントロピー論では、十分に展開されてきていませんが、平和は人と人との関係の持続可能性の問題です。10日のシンポジウム「平和・環境・エントロピー」では、エントロピー論を特徴づける概念:循環・多様性・関係を手がかりに、平和の問題を考える一歩を進めたいと考えます。
今回のシンポジウムは被爆60周年という節目の年に、エントロピー学会としては初めての広島で、はじめて「平和」を基本テーマの正面に掲げて開くという意味で画期的であり、新たな発展の方向を示してくれる理念を探る意欲的で豊富な内容の企画を盛り込んでいます。どうぞ1人でも多くの皆さまが広島でのシンポジウムにご参加下さるよう、実行委員会一同、心からお待ちしております。
エントロピー学会第23回シンポジウム実行委員会 代表 馬 場 浩 太
シンポジウムの日程
会 場:10月9日 広島平和記念資料館 東館(広島市中区中島町1-2 電話:082-242-7798)
10月10日 広島修道大学 7号館(広島市安佐南区大塚東1-1-1 電話:082-848-2121)
参加費:会員・2日間 3,000 円、1日のみは2,000 円
一般・1日につき1,500 円、学生・1日につき1,000 円
10月8日(土) 広島市中区平和記念公園
14:00〜オプショナルツアー「原爆投下前の町並みを求めて平和公園を歩く」
10月9日(日) 会場: 広島平和記念資料館 東館)
9:20 受付開始
10:00〜11:30 記念講演 豊崎博光「知られざるヒバク、見捨てられるヒバクシャ」
会場は メモリアルホール(地下1階)
11:30〜12:30 昼食
12:30〜17:30 シンポジウム「核の60年 ‐ 平和と軍事のはざま」
会場は 会議室1(地下1階)
18:00〜20:00 懇親会(会場は鯉城会館)
10月10日(月・休) 会場: 広島修道大学 7号館
9:00受付開始 A 会場(学術ホール)B 会場(7201教室)C 会場(7202教室)
9:30〜12:05自主企画シンポジウム1
「中国山地・瀬戸内の環境と人間」一般講演?一般講演?
12:05〜13:00 昼食
13:00〜16:00自主企画シンポジウム2
「平和・環境・エントロピー」
16:10〜17:00 閉会総会 17:10〜18:10 世話人会
エントロピー学会第23回シンポジウム「核の60年 ‐ 平和・環境・エントロピー」
「プログラム」
10月9日(日) 記念講演・シンポジウム 会場: 広島平和記念資料館 東館
10:00〜11:30 開会および記念講演
メモリアルホール(地下1階)
開会および、秋葉忠利広島市長のメッセージ(交渉中)
記念講演 「知られざるヒバク、見捨てられるヒバクシャ」 ・・・・・・・・・・・・・・・ 豊崎 博光
1978年以来、この25年間、太平洋のマーシャル諸島やアメリカ、カザフスタン、オーストラリアの核実験場、アメリカ、カナダ、オーストラリアと旧東ドイツのウラン採掘地、スリーマイル島原発とチェルノブイリ原発の周辺などを取材したなかで知ったヒバクの実態、生み出されたヒバクシャの状況などについて話をしたいと思います。
12:30〜17:30 シンポジウム 「核の60年 ‐ 平和と軍事のはざま」 会 議 室 1(地下1階)
趣旨:日本で、とりわけ広島で原水爆禁止・核兵器廃絶の声に反対する人はいないと言ってよいでしょう。ところが、原発も含めたすべての核に反対、というと事情は違ってきます。また、原発に批判的な人でも日本の核武装の可能性にまで話を広げることは避けがちです。しかし、核不拡散条約(NPT)の、核の軍事利用のみを規制し、核の平和利用は推進するという体制の破綻はもはや明白で、エルバラダイIAEA事務局長も核燃料サイクル国際管理の必要を説いているほどです。
核兵器の廃絶を本当に文字通り追及するのであれば、核兵器の存在を維持している物・お金・人の流れの全体に目を向けて、何が、誰が、核を支え、核に支えられているのかを知ることが必要でしょう。このシンポジウムでは、日本の原子力=核の歴史と現実に関して5名の講師から各々講演25分+質疑5分で話題を提供していただき、それをふまえて、休憩をはさみパネル討論の形式で各々5分ずつの補足コメントをしていただいた後、十分な時間を取って参加者全体の総合討論を進めたいと考えます。
1.「日本の核政策史 ‐ ヒロシマから動燃まで ‐ 」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤田 祐幸
多くの国民は、「原子力基本法」と「非核三原則」により、日本の核の軍事転用はありえないと考えている。しかし、原子力を国策として遂行してきた政府には、それなりの思惑がある。たとえばそれは「平和利用にせよその技術が進歩するにつけて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器を持たないが、潜在的可能性を強める」と総理時代の岸信介が語っていることからも、それを伺い知ることができる。国策としての原子力は電力生産のためのみではないことを歴史的に検証する。
2.「核と原子力は同じもの。日本の核燃料サイクルの現状」・・・・・・・・・・・・・・・・・小出 裕章
日本は原子力の「平和」利用を標榜して「核」と「原子力」はあたかも別物であるかのように言ってきた。その日本は米国の核の傘に入ることを選択しながら、朝鮮には原子力の「平和」利用を含め、一切の核を放棄するよう迫っている。この国の為政者、そして一方的な情報を流すマスコミの非論理に呆れるが、差別に支えられた世界の不均衡はますます酷くなってきた。日本は、核開発の中心技術である「原子炉」、「ウラン濃縮」、「再処理」のすべてを保有する非核国で唯一の国である。その核兵器製造の力がどれほどのものか、物理学的、工学的な現状を報告する。
3.「エネルギーと生活 ― 再処理工場の光と影」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鎌仲 ひとみ
原子力による発電を「夢のエネルギー」と呼んでいた時代から40年、「核廃棄物をいかに処理するか」という時代になった。ところが、いまだに青森県六ヶ所村では「夢のエネルギー」時代が続いている。村の中心地、かつては縄文人の住居があった海を見下ろす小高い丘の上にそびえる再処理工場はあたかも戦艦大和のようなシルエットを浮かび上がらせている。そしてその影響から村民は逃れることができない、しかしそのような状況は日本全体の縮図にしかすぎないのではないのか?
4.「原発銀座・若狭から― 問い直される『もんじゅ』の意味」・・・・・・・・・・・・・・・・中島 哲演
既設の15基に加えて、巨大原発2基が建設中の「原発銀座・若狭」―― その総発電力量の1%の消費電力しか必要としていない若狭に。その原発電力はそっくり関西方面へ送られている。「安全神話」は、この供給地?需要地の構造によって、当初から崩壊していたのだと言えよう。
「もんじゅ」事故は、戦後50年目の12月8日に起きた。その日は奇しくも、広島・長崎の悲劇を招来した真珠湾攻撃の日であり、シャカが開悟して「ブッダ」と成られた記念日でもある。今日、原発の「必要神話」や核の「平和利用」までが、厳しく問い直されているのではなかろうか。
5.「日本の反核平和運動の課題」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横原 由紀夫
反核運動と今後の課題ということから、以下の3点について問題提起をする。(1)核被害者の人権確立、(2)日本は核被害国から核加害国へとの複合的な認識が必要、(3)核利用社会は必然的に「警察国家」、「管理社会」を招き、統制強化と人権抑圧社会となるー以上の点を認識した運動が不可欠である。
核利用社会は(軍事であれ民生であれ)、その特性として、放射能による環境汚染を避けることができず、放射性物質の生産により自然の循環を断ち切り、核被害者を生み出すーこの結果として、社会と文化の柔軟性、多様性を失い、共生を阻害することになる。現在の日本社会の事態を批判的視点で捉えその変革を求めて運動することが重要な課題。
18:00〜20:00 懇親会(会費 4,000円) 会場は鯉城会館(紙屋町方向へ約600m)
10月10日(月・休) 一般講演・自主企画シンポジウム 会場: 広島修道大学 7号館
9:30〜12:05 一般講演 B会場 (7201教室)
B‐1 「高校の授業記録から‐環境とエントロピーをめぐるいくつかの視点について‐」・・黒川冨秋
B‐2 「熱学法則理解のための体験的学習の実践と分析‐エントロピー論の基礎となる認識の形成-」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桐山信一
B‐3 「隣組熱電併供給システムの展望」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福本敬夫
B‐4 「環境・エントロピー・持続可能な産業社会」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・生嶋素久
B‐5 「都市環境とカーフリーデー」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松川由実
B‐6 「持続可能な社会に向けた上水道システムへの再構築について」 ・・・・・・・・・山下孝光
B‐7 「ローカルな循環経済を創る 理念を経済システムへ」 ・・・・・・・・・・・・中村 修
9:30〜12:05 一般講演 C会場 (7202教室)
C‐1 「「エントロピー学会を民際学会に改組しよう」に対する関西セミナー参加者との対話から」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森住明弘
C‐2 「民際学事始め;森住さんとコンタクトして、私が学んだもの」 ・・・・・・・・・桜井醇児
C‐3 「続・ごみ戦争と平和(民際学を巡る関西セミナーの議論に寄せて)」 ・・・・・・川島和義
C‐4 「最近判明した原爆投下の経緯」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桑垣 豊
C‐5 「フレドリック・ソディの経済学研究と物理学‐核エネルギー開放をどう危惧したか」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・桂木健次・熊谷博夫
C‐6 「円高介入資金の行方‐かくしてわれらの貯蓄はイラク戦費に消えた‐」・・・・・・青木秀和
C‐7 「ワーカーズ・コレクティブ運動の現況と特質」 ・・・・・・・・・・・・・・・丸山茂樹
9:30〜12:05自主企画シンポジウム1 「中国山地・瀬戸内の環境と人間の関わり」A会場(学術ホール)
趣旨:今回のシンポジウムの基本テーマ「核の60年 – 平和・環境・エントロピー」は、被爆地広島のイメージが直接につながる核・平和を正面に取り上げたものですが、広島の周りの山・川・海の自然環境と人間の関わりにも、エントロピー学会のシンポジウムを広島で開催する機会に注目されてよい様々な問題があります。
それらの中で、西中国山地の十方山に大規模林道を通す計画や、瀬戸内海の入口上関への原発立地計画は、どちらも人間の生活上のある経済の流れをつくる都合で、希少な自然が壊されるような方向で現在動こうとしており、もっと多くの人々が事実を知り、問題の本質は何かを考えることが必要です。
シンポジウムでは始めにこれらの問題の重要性をそれぞれの現場に即して訴え続けて来ておられる金井塚務さんと高島美登里さんに山と海のそれぞれの現地の実情をふまえて問題のありかを話していただきなす。大丸秀士さんは日頃動物と接しておられる経験に基づく環境教育の立場から、いろいろな環境問題にどう取り組むことができるかを考察され、松田克進さんはより広く未来を食いつぶさぬ環境哲学の視点から、太田川水系の環境と人の生活への思いを語っていただきます。
これまで広島およびその周りでは、環境に関わるいくつもの貴重な活動が、それぞれの場で続けられてきているにも関わらず、必ずしも互いに十分な交流をできる場がなかったと言ってよいでしょう。そこで、討論では上の4名の方のお話をふまえてより広い視野から、個別の問題に直接的に結びつくことにとらわれず、共通する基本的な問題をさぐり、理解を深める場としたいと考えています。
1.「細見谷渓畔林保全の意味」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金井塚 務
西中国山地最後の原生的自然をとどめる細見谷は、生物の多様性に富み、その生産量も多い。ここは中国地方に残されたきわめて重要な生物ストックである。一度失われたら二度とよみがえることはないこの生物多様性を保全することは、子々孫々にわたる生存のための安全保障でもある。
2.「上関原発予定地 ‐ 長島は貴重な自然の宝庫」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・高島 美登里
上関原発計画予定地である長島は、手つかずの自然が残され、絶滅危惧種のスナメリやナメクジウオをはじめ,世界的に希少な貝類が生息するなど、貴重な生態系に恵まれている。多数の研究者や市民は計画に反対し、保全を要望してきた。しかし、2005年4月から原子炉設置のための地盤調査が強行され、早くも環境異変が生じている。今こそ原発計画を即刻中止させ、自然と共生する町づくりを始める時である。
3.「循環を教育する ‐ 環境問題に気づく基礎的能力として ‐」・・・・・・・・・・・・・・大丸 秀士
環境教育は環境問題があることを人々に気づかせ、その解決に参加するまでの実践教育とされている。演者は野外での自然体験学習や職場の動物園において、水や物の循環を体験的に楽しく理解するための教育を実践している。県下の環境問題を直接とりあげるまでに至っていないが、水や物の循環を理解することで、なぜ環境問題が起こるのか基本的な洞察力を育てることができると感じている。
4.「地方発の環境哲学」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松田 克進
?中国地方の環境保護運動の実例を概観しつつ,地方からの環境保護運動の意義を考える。中国地方の山や川や海を守る環境保護運動の実例を概観する。
?S・ウルフラムのセル・オートマトンをモデルとすれば,自然界の任意の部分同士は相互作用し得る。したがって,一地方の環境保護運動が周辺地域に良い影響を与えることも充分可能である。地方発の環境運動は,その意味で,決して閉鎖的でなく開放的である。
?人間と他の生物との相互依存関係も,セル・オートマトンを素朴な近似モデルと見なすことができる。人間中心主義は誤りである。むしろ中心はどこにも無い。安定した相互依存関係を未来世代にバトンタッチすることが世代間倫理である。
13:00〜16:00 自主企画シンポジウム2 「平和・環境・エントロピー」 A会場(学術ホール)
趣旨:平和は人と人との関係の問題です。エントロピー学会はこれまで人間・生命と環境との間での持続可能性の問題を循環・多様性・関係の概念を使って議論を展開してきました。今回の平和というテーマを頭に掲げてのシンポジウムは初めてのことですが、平和の問題を人間(私)と環境の中の人間・生命(あなた)との関係の持続可能性の問題としてとらえるならば、エントロピー論の延長として新たな世界の広がりを考えることができるのではないでしょうか。
ここで平和は市民と市民の結びつきがつくり出す関係であり、国と国との戦争・武力が破壊し奪おうとする平和を受身で守るというよりも、積極的能動的に関係を作り出すものという平和をイメージすることができるでしょう。その関係が持続可能であるためには、その関係性が対等で対称性のあるものであることが必要で、そのような市民と市民の多様な相互依存のつながりのイメージは、人と自然環境の生態系との関係のエントロピー論とつながり、民際学の考え方とも重なってくるのではないでしょうか。
1.「平和をつくる人と人の関係性をエントロピー論で考える」・・・・・・・・・・馬場 浩太・山田 國廣
はじめに問題提起として馬場が上のようなシンポジウムの趣旨を敷衍し、続いてコメントとして山田がエントロピー論の延長線上で平和を考察します。
2.「積極的平和を実現するためのいくつかの条件について」・・・・・・・・・・・・・・・・・細川 弘明
「日本は唯一の被爆国」という表現が、いかに欺瞞にみちたものであるか (それゆえに世界に対して説得力をついに持ちえなかったこと)は、今日ではようやく認識されるようになってきた。しかし、日本は60年間「戦争をせずに平和を守ってきた」という表現の欺瞞性について認識する人は、まだそれほど多くない。Peace(平和)の動詞形 Pacify は「鎮圧する、平定する」という意味になるということを手がかりに、日本の戦後の「平和主義」「平和意識」の見落としてきた側面を考えてみたい。
3.「民間人による対話のすすめ ?アメリカとイラクの架け橋をめざす?」・・・・・・・・・高遠 菜穂子
今年5月、イラクホープネットワークのメンバーとニューヨークでイラク写真展を開き、9カ所で報告会を開いた。帰還兵や市民との交流から、最大の敵は「無知」であると実感し、それを克服することは可能であるという希望を持つに至った。また、イラク人とアメリカ人のメッセージ交換なども行い、両者から反響があった。日本人の役割として「対話のコーディネーター」を目指したい。
4.「民際学が開く地平への展望」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中村 尚司
民際学は、当事者性の学問である。平和や環境は、観測者が同時に観測対象になる世界である。その問題解決を、客観的な分析や記述のみに頼ることができない。当事者性を排除する近代科学の限界でもある。限界を超えれば、学術研究と無縁な人も、専門的な研究者と対等である。エントロピー論は、既成の客観的な近代科学の一角を占めるのか、それとも研究対象が当事者として研究者に働きかける共同の営みとなるのか。
16:10〜17:00 閉会総会 A会場(学術ホール)
オプショナルツアー『 原爆投下前の町並みを求めて平和公園を歩く』
日 時:2005年10月8日(土) 14:00?17:00
集 合:レストハウス内(電停「原爆ドーム前」から南5分、元安橋西詰め)
案内人 :桑垣 豊(近未来生活研究所)
主な経路:レストハウス⇒慈仙寺鼻(相生橋南詰)⇒旧元柳町⇒旧材木町⇒旧天神町⇒平和記念資料館⇒原爆ドーム前
資 料 代:300円(資料館入館50円別)
原爆のあまりの破壊力に、爆心地の町だけでなく、住民の記録もなくなってしまいました。特に中島地区は、その後、平和公園ができたため、元の町を想像することすらむずかしくなっています。公園内の通路は、昔の町の通りとは一致していません。
このまま数少ない爆心地の生存者がいなくなれば、町の記憶が永久になくなってしまうという危機感が生まれました。そこで40年近く前に爆心地復元運動がはじまり、地元マスコミの支援、大学や研究機関の協力で復元地図ができ、修正が続いています。
この企画では、戦後生まれで広島に住んだこともない者が、この広島の記憶をうけつぐことができるかという課題に挑みます。ツアーでは、特に何もない平和公園の一角に立って、投下前の町並みを想像していただきます。また、元住民の方をお招きして、町の思い出を語っていただく予定です。ツアーの最後には、平和記念資料館で被爆前の町の模型を見ていただきます。この企画に参加することで、原爆がうばったものは人命だけでなく、普通の人の暮らす町そのものであったことを実感していただけたらと思います。
なお、10月10日午前中の一般講演では、原爆を投下したアメリカ軍側の状況を、最近判明した情報に基づいて解説します。特に長崎原爆に関しては、トラブル続出で投下を断念してもおかしくなかったことを示します。この両方を通して、具体的個別的にえがくことで、抽象化一般化してしまいがちな原子爆弾のイメージから脱却できる道をさぐります。
★参加希望者は、事前に実行委員会に申し込んでください。当日参加も可能ですが、資料がなくなるかも知れません。