フランクフルター・アールゲマイネ(FAZ.net)記事抄訳(11)

福島原発事故に関連する記事の表題と抄訳を安藤直彦会員が随時行う。(掲載伊津)

2011年4月25日
(日本における原発議論)
タブーとの粘り強い戦い
いまでも日本では大きな反原発運動は全くない。原発反対派はつらい立場にある。この国は原子炉政府に左右されており、労働組合(連合)とメディアはそれにあわせた行動をとっている。(Petra Kolonko,Tokio)
注:この報告は日本の反原発デモがドイツやヨーロッパにくらべて広がらない理由ををうまく言い当てており、日本でこうした分析がなされてないのがむしろ不思議である。

2011年4月25日
(最初の原発批判)
一番手が邪魔になっている
Holger Strohmはドイツにおける原子力産業の最初の批判者だった。彼の著作は多くの人によまれた。今、彼はポルトガルで忘れ去られて生きている。意見を異にする人のポートレート

2011年4月26日
(避難地区からーチェルノブイリ関連)
Prypjatのなまず
25年前チェルノブイリ原発での歴史上最初のGAU(原発で想定可能な最大事故)が起こった。そこから近い都市Prypjatはゴーストタウンになった。現代のポンペイ?不快な記念日を機にした覚書(Juri Andruchowytsch)

2011 年4月26日
(チェルノブイリ後25年)
我々は雌牛を隠してとどまった
原子炉の爆発直後Michailo Urupowと彼の妻も連れ去られた。しかし、彼らは故郷へもどった。チェルノブイリの禁止地帯でその生涯を終えるだろう。(Konrad Schuller)

2011年4月27日
(脱原発)
Roettgenは核の最終処理施設についても決定しようとしている
6月中旬までに連邦政府は州政府との話し合いで脱原発を軌道に乗せようとしている。いま、環境相のRoettgenはこれに賛成して、この枠内で核の最終処分場問題についても話し合うことを表明した。

2011年4月27日
(ドイツと原発)
わが友、原子力
この50年来ドイツ人は原子力に酔いしれてきた。核エネルギーは自由に利用されるべきであった。20年後にすべては別物になった。それは心配と抵抗になった。美しいメルヘンは怒りに終わった。

2011年4月28日
(エネルギー変革に対する倫理委員会)
Eonの社長は迅速な脱原発にたいし警告している
エネルギー変革についての倫理委員会の公開会議において、エネルギーコンツェルンEonの社長、Teyssenは連邦政府に再生可能エネルギーの利用できるまでの非常に短期間のつなぎは意味がない、と警告している。エコ電力提供業の支持者は彼らの計画を弁護している。
(彼らは遠からず、風力、ソーラー、水力、バイオマスで原子力の穴をうめることができるとしている)

2011年4月28日
(倫理委員会)
急速な脱原発の結果についての不一致
連邦政府によって準備されているエネルギー変革は高い電力コストになるだろう。倫理委員会のヒヤリングで専門家は同意しなかった。不一致は気候問題、経済問題についてもあった。

2011年4月30日
(福島)
政府顧問は涙ながらに辞任した
日本政府の原子力顧問は抵抗から辞任した。日本は小学生の年間許容量を20ミリシーベルトと高すぎる値に設定した。(この件は下記のサイトが参考になる。訳者注)
http://www.foejapan.org/infomation/news/110502_2.pdf

2011年4月2日
(ポンプ貯蔵発電所)
Eder湖のほとりにEonは水力発電所を建てる
再生可能エネルギーの建設は最大負荷の調整のために近代的なポンプ貯蔵発電所を必要とする。ドイツで建設されている総能力の約15%がまもなくEder湖の近辺から得られる。これによって地域住民は逆に何の問題もない。

フランクフルター・アールゲマイネ より
Aktuelle Nachrichten online – FAZ.NET
http://www.faz.net/s/homepage.html

フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(独: Frankfurter Allgemeine Zeitung – F.A.Z.)は、第二次世界大戦後の1949年にフランクフルト・アム・マインに再建されたドイツの新聞。略号は FAZ である。福島原発事故に関連する記事の表題と抄訳を安藤直彦会員が随時行う。 体裁を整え伊津が掲載する。