共生社会への道か?「悪魔の石臼」への道か? ―東日本大災害と日本の市民社会の分岐点―

共生社会への道か?「悪魔の石臼」への道か?

―東日本大災害と日本の市民社会の分岐点―

丸山茂樹(参加型システム研究所客員研究員、JC総研客員研究員)

私は生協のシンクタンクと農協のシンクタンクの客員研究員をしておりますが、今回の東日本大震災と福島原発事故を巡って、如何なる方向(未来)に向って復興を目指すのか?  激しい「鬩ぎ合い」が行われている真っ最中であるという認識を持っています。それを端的にいえば「大資本の論理」か、「共生と協同の論理」か?という分岐です。また、論争だけでなく、実践においても、実例の力で示す事が重要であって、その先進事例の取材と記録・交流をささやかながら手がけています。その第1弾として投稿させていただきたく思います。

1はじめに―日本のクライシス

 2011年3月11日に東日本を襲った大地震とそれに伴う大津波及び東京電力第1原子力発電所の事故は、その被害が大規模であるだけでなく、今後の日本の政治、社会、経済、生活、科学技術などすべての領域に大きな影響を及ぼすと思われる。では今後の日本にはどんな選択肢があるだろうか?私はこの大災害と原発の事故を経て日本の市民社会は今、分岐点に立っていると考えている。この小論では、災害と事故の経過を回顧しつつ、日本の分岐点の内容・方向性を考察することにしたい。
<危機>とは英語で言えば<Crisis>であるが、この言葉には<分岐点>という意味もある。<危機>についてイタリアの革命家・思想家アントニオ・グラムシ(AntonioGramsci)は次のように述べている。「危機は、古いものが死んでも新しいものが生まれてこないという、正にこの現実の中にあるのだ。このような空白期間には多種多様な病的現象が起こるのだ」(『獄中ノート3.雑録§34「過去と現在」)。この「多種多様な病的現象」についてカール・ポランニー(Karl Polanyi)は彼の著書『大転換』(東洋経済新報社、1975年)の中で「悪魔の石臼」と名づけた。それは「ファッシズム」や「ソ連型社会主義」を意味しているのであるが、韓国の權寧勤氏(韓国農漁村社会研究所、所長)は「新自由主義」もその1つに加えるべきであると述べている(日本の農協中央会のシンクタンクである社団法人「JC総研」の季刊雑誌『にじ』2011年春号に寄せた論文「韓国における自由貿易関連協定交渉をめぐる動向」丸山茂樹訳・補筆)。
私もこの災害と事故を機に、広がりつつある連帯感と協同の力による復興の道がある反面、協同組合運動を押しつぶす『悪魔の石臼』である新自由主義の勢力が一気に支配的力を持つに至る危険性もあり、それから目を逸らしてはならないと考えている。
           
2.復旧から復興への道程

東京電力・福島第1原子力発電所の危険な状態は3ヶ月を経た6月になってもまだ収束の見通しが立っていない。東京電力は2012年1月までに「原子炉を冷却させ、放射性物質で汚染された水を閉じ込め、大気や土壌の汚染を抑制する」という「工程表」を発表した。しかし、これが確実に実現するという根拠はない。悪く批評すれば単なる希望的な観測を紙に書いただけの計画である。現実には10数万人の被災者は住む家がなく、数10万人が仕事もその手段も奪われ、多くの漁民は生産手段を津波に飲み込まれ、また放射能で汚染された海では操業できない状態である。原子力発電所の周辺の学校では放射能の危険を避けるため校庭で遊ぶ時間を制限している。津波が押し寄せた農地は海水の塩害で田植えの季節を迎えても耕作が出来ていない。地震で地盤沈下した農地を復元する方法はまだ確立していない。人々には先ず日々健康に生きてゆく事、次に日常生活と仕事を取り戻すことが必要だ。市民社会は先ず何よりも被災に遭った人々を救おうと動いた。お金を集中したのは赤十字と「赤い羽根募金会」という公的な組織であるが、それ以外にも生活協同組合は被災地の生協への支援。労働組合も被災地の労働組合へ資金や物資。その他の様々なNPOやグループが支援活動を繰広げている。
政府も民間人も、保守派も進歩派も、中央でも地方でも、災害から元に戻ること、即ち“復旧”が第1に必要であるという。それに続いて「“復興”が必要である」と言っている。
しかし元に戻す“復旧”を行おうとしても小規模の農業者や漁業者には資金がなく、労働人口は既に高齢化していて生産体制を整えるための資金もない。大企業の経営者の中には「今度、再建するときには復旧ではなく、生産拠点を他の地域にも、外国にも展開して“従来よりも危険(risk)を分散させる方法”を考えている」という者もいる。即ちすべての企業が元に戻す方針をとっているわけではないのである。従って、「復旧から復興への道程」をめぐる論議と選択は、「如何なる未来の経済と生活と社会を構想し実践するか?」という政治的・社会的な選択の分岐点にもなっているのだ。では何が選択の主題であり、何が争点であるのか?順を追って論じることにする。

3.政府の復興構想会議をめぐる混乱

 政府は内閣総理大臣の私的諮問機関として「復興構想会議」を組織した。その議長は防衛大学の学長であり保守派の論客が少なくない。最初、政府は地震・津波による災害と原子力発電所の事故による災害を区別して、復興計画を地震・津波の被害に限定しようとした。原子力を含むエネルギー政策の転換という大問題を避けようとしたのである。また復興会議の議長は「復興には莫大な予算が必要である。増税も論議したい」と第1回会議で述べ、多くの批判を浴びた。「先ず最初に如何なる復興をするか。それにはお金はいくら必要か?」これを論じる事が先であり、お金の調達方法を国債にするか、増税か、他の財源の節約か、公務員給与のカットか、等々はその後で論じるべきだ、との批判も出た。
首相と財務省は復興会議の“構想”に基づいて大規模な補正予算を組むが、その中には大規模な増税計画も含む―という意図があったと言われている。事実、財務省の高級官僚が閣僚や復興委員を秘密の内に訪ねて「増税の必要性」を説得して歩き、そのことをある閣僚が暴露して批判するという一幕もあった。最終的には震災被害・原発被害の両者を含めた総合的な復興構想を論議する、財源や規模も論議することに落着した。
  この小論では先ず震災への農村・漁村の復興計画についての論議について述べ、次に原子力発電所の事故による災害と補償、最後に市民社会の動向について述べることにしたい。

4.農村・漁村の復興をめぐる2つの道

 災害に襲われた太平洋岸の岩手県、宮城県、福島県は複雑に入り組んだリヤス式海岸が多く、その入り江ごとに小さな漁村があり、また中規模の拠点的な漁港もある。更に幾つかの大きな漁業基地があって造船、食品加工、運輸などの水産業の拠点になっている。また、農業・漁業だけでは暮らせない人々は家族の中で半農・半漁、あるいは観光・商工業・公務労働など多様な職業に従事して生活してきた。今回の災害で漁船・漁港・市場・倉庫・加工工場など総てを失った人々には2つの選択肢が考えられている。第1の方法は協同の力による共生・再生である。そして第2の方法は統合と合併・大規模化と営利資本の導入である。政治や社会運動はどの道を選ぶかが問われている。

第1のそれは、協同組合の力を結集して、個人個人では不可能な船、漁具,定置網施設、栽培漁業施設、加工施設、流通システムを再建・創造する方法である。この方式が優れているのは、単なる経済行為としての農業・漁業・流通業ではなく、地域社会(community)の再生を同時に実行できることである。老人福祉、介護、子育て支援など地域社会に欠くことが出来ない社会サービスもまた協同組合の力で、また地方政府と協力して実行できる。 
現実に被害の大きかった岩手県宮古市の中の重茂地区では、協同組合の力を総結集して生産手段を共有制にして、早くも部分的に生産を開始している。また、彼らと提携している生活協同組合は商業的取引のみならず経済的支援・文化的支援・人的支援を全面的に行っており、漁業協同組合の力による生産、生活協同組合による流通と消費の組織化、両者の複合による創造的な復興の先進事例となっているのである。
第2の方法は農業・漁業の統合・大規模化と営利資本の導入である。これは宮城県知事が提唱している政策である。彼の主張の概要は「零細な漁業を再建しても非効率的である。漁業権は現在の法律では漁業協同組合に所属しているが、この際、特別の法的処置(特区の設定)によって、営利企業も漁業権を持ち漁業に参入できる制度をつくり、資本を大胆に導入し、大規模企業化をすべきである」というものである。この提案には基礎自治体の首長が少なからず賛成している。背景は農業も似ているが漁業も一定の安定した所得が期待できないために若い世代が就業せず、労働力の高齢化があるからだ。企業化・大規模化をすれば雇用の機会がうまれ、復興できるのではと考える。だが反論がある。「若者が就業しない原因は農業・漁業・林業に携わる人々や協同組合のせいではない。国家は“第1次産業は生産性の低い遅れた産業である”と見てきた。そして生活保障を伴わない、あれこれの補助金政策を小刻みにしか実行しなかったからだ」という歴代の政権への批判である。「農林水産業は経済効率だけで判断すべきではない。自然と環境と資源を守り、国土を保全する多面的な機能と役割を担っている。この社会的に重要な仕事に従事する人々と地域社会に対しては、その役割に相応しい基本的な生活を出来る所得を保証すべきである。そうすれば若い世代は誇りを持って仕事に従事するであろう」と主張する。経済効率とGNPを指標にする思想と政策への異議申し立てである。
「規制を緩和し、自由な競争原理を働かせれば効率的なものだけが残る。農村・漁村を発展させるにはこれが早道である。」という新自由主義の主張は強者の思想であるが、強者依存の体質も合わさって根強い。財務省をはじめとする中央政府・官僚、大企業の連合体である日本経団連、読売新聞などのマスコミ(TV,新聞)がこれを後押している。
しかし、与党の民主党内部にも政府の中にも異論があって、政策は動揺しており必ずしも統一しているわけではない。どの方向へ向うか?市民社会の動向が試されていると見る事もできる。私の考えは、例え少数であっても先進的な農協や漁協が協同の力による共生・再生の道を示し、誰にも分かる成功の実例を示すことが重要であると思う。
そうすれば小泉政権以来展開されてきた、市場原理主義に基づく政策が多くのワーキング・プアー、失業者、格差社会、無縁社会を生み出してきたこと。それへの対案として協同と連帯の理念にもとづく社会的経済の優位性を主張できると思う。農協、漁協、生協の連帯による社会的経済を今こそ実践するときである。では労働組合はどうか?残念ながら最大の労働組合である連合は、被災地への寄付金集めの努力はしているが、社会的経済の発展には関心が薄い。原発推進の旗は取り下げたが脱原発ではない。左派と見られている全労連の中の医療労働組合や医療生協、自治体の労働組合などは、現地に支援拠点をつくり大企業寄りの再建方式に反対している。特に被災地の医師・医療機関の不足は深刻であり、医療支援活動は被災地の人々に感謝されている。 

5.東電の事故補償と支援機構

 東京電力の原発事故への補償問題は、金額の問題であると共に電力独占体制のあり方を変えるか否かという問題である。住民、農民、漁民、企業、基礎自治体へ与えた損害は10兆円以上とも言われている。如何に巨大企業である東京電力といえども手持ち資金は2兆円程度だという。積立金の取り崩し、役員の報酬Cut,資産の売却、一部労働者の解雇・賃下げなどを行っても3兆円程度しかないと報じられている。しかし資金がないからといって補償を打ち切るわけには行かない。ではどうするか?
政府は東京電力への支援機構を作るという。その理由は、事故の責任は第1義的には東京電力にあるが、国策として原子力政策を推進してきた政府にもまた責任があるからだと。「原子力損害の賠償に関する法律」の第3条によると「その損害が異常に巨大な天災地変または社会的動乱によって生じた」場合には電力会社は責任を免れる。しかしそうでなければ「原子力事業者その損害を賠償する責めに任ずる」ことになっている。東電は既に損害への仮払いを認めており責めを認めている訳だ。従って政府は「公的な支援」に対しては当然ながら「対価」を要求すべきである。具体的には東電の資産、特に「送電網」を公的管理におくことが重要であると考える。この点、次に詳しく述べる。


6.地域独占と原発へのオルタナティブ

 菅直人首相の功績の第1は「浜岡原発の停止」を要請したこと、第2は「発電と送電の分離」について問題提起をしたことであろう。第3に再生可能エネルギーの発展をめざすと明言したことも評価できる。
しかし限界もまた冷静に見ておく必要がある。その第1は未来のエネルギー政策の柱の1つの原子力を挙げたこと、これはドイツのメルケル首相との大きな違いである。第2は発電と送電の分離という正しい問題提起をしたにも拘らず、その実行に必要な多様な発電主体の登場を阻害している電力会社による発電・送電・配電の地域独占体制の変革には言及せず、曖昧なままに終わったことである。またここでは指摘だけに留めるが「国際競争力の強化(強い経済)―TPPへの加入」を推進しようと試み、「社会保障と財政健全化の同時解決」という政策を名の下に増税を実現しようとした。
私は、これらの限界と間違った方向への代案(Alternative)ついて、特に電力改革方向に絞って述べることにする。それは、発電事業と送電事業、配電事業を切り離し、「送電事業は誰もが利用できる道路の様な公共財にする」ことである。
ソーラー、風力、水力、バイオ、地熱発電など多様な再生可能なエネルギーを、多様な事業主体が発電事業に参入し、配電事業にも参加できるようにする。これは先進国の“常識”である。原発は半永久的に放射性廃棄物を出し続ける。安全・安心な持続可能な社会とは相容れない。また原発は巨大技術であり必然的に中央集権的な体制を伴う。市民参加型、地方分権、地方自治、地域自立経済などの未来社会とは相容れない。特に日本は水力資源が豊富であり、全国の数十万箇所に小型水力発電の建設が可能である。海の潮流を利用した発電も可能性があるという。原発に依存しなければ立ち行かない、電力の独占体制が最も効率的であると考えるのがむしろ“異常”なのである。

7.新しい市民社会づくりへの始まり

 3月11日以来、日本の市民社会では全く新しい歴史が創られようとしている。市民社会の地殻変動とも呼ぶべき、大きな変化が起きている。それは、従来は市民社会の社会運動の主役であると思われていた労働組合や政党―民主党、社民党、共産党などは、反原発・脱原発運動のリーダーシップを発揮できなかったことだ。それにも拘らず、無名の市民や若者の呼びかけにより最初は数100人規模、次には3000人規模、次には1万5000人規模のデモやパレードや青空市バザール、が同時にあちこちで都心でも住宅地でも行われた。
背後には長い年月にわたる誠実な人々の努力があった。タンポポ舎という長年にわたって活動してきた反原発運動のネットワーク、原子力情報資料室という専門家を結集したNPO、エントロピー学会という専門家と市民活動家のユニークな学術組織、アジア太平洋資料センター(PARC)という国際的な市民運動のネットワークなど、幾つかの信頼できる情報を持つ組織が中核となって、?政府・官僚?政治家?彼らに奉仕する官辺学者?東京電力を中心にした電気事業連合会?権力と癒着したマスコミ―<日本の五賊>を批判する論陣を張った。これに原子炉を設計した元原子炉メーカーの科学技術者、少数ではあるが良心的で優れた大学の原子力研究者たちが加わった。彼らの主催する会合はどの講演会、研究会、シンポジウムの会場も満員で、主催者自身が驚いている。
最初の内、マスコミは彼等の発言も行動も、あたかも存在しなかったかのように全く報道しなかった。しかし、勇気ある財界人―孫正義氏(ソフトバンク社長)や有力な中小企業金融機関である城南信用金庫が「脱原発宣言」を出し、自民党の党首選挙にも立候補したことのある河野太郎議員が脱原発宣言を行ったこともあって、僅かであるが脱原発運動を報道するようになった。人々はインターネットでマスコミが報道しない情報を得て、各地域で多種多様な活動を開始している。これらの運動が既存の社会組織である労働組合や生活協同組合、農業協同組合、基礎自治体や町内会・自治会などに影響を与え、変化させるところまで発展するか?それとも一時的な運動に終わるか?断言は出来ないが、これまでの社会運動の枠組みに変化をもたらしつつあることは確かである。人々は新しい市民社会
づくりへの眺望を求めている。実例は説得力があり、論理と倫理は確信となる。その眺望と実現への筋道が明瞭になればきっと更に多くの人々が勇躍して参加するに違いない。
(丸山茂樹)