フランクフルター・アールゲマイネ(FAZ.net)記事抄訳(24)
福島原発事故に関連する記事の表題と抄訳を安藤直彦会員が随時行う。(掲載伊津)
7月6日の記事では日本が原子力監査機構の信頼失墜を回復するためにストレステストに踏み切った、と書かれている。そのあと、原子力安全・保安院と電力会社、政府(官僚)、大学、科学者、マスコミなどの癒着が原子力についての監査をあいまいにしてきたとも書かれている。
日本のマスコミは(自らの罪悪をふくめて)この事情をあきらかにしないまま、菅総理が突如ストレステストを言い出したと報道し、そのため一般大衆はストレステストの意味がつかめず、逆に反対にまわっている。 安藤直彦
FAZ(その24)
2011年6月30日
(連邦議会はエネルギー変革に同意)
Gabriel:これが我々の脱原発である
連合(CDU、CSU)FDP、SPD および緑の党の賛成により、連邦議会は2022年までの脱原発を議決した。これに加え、連合とFDP の多数によってエネルギー変革に対する一連の法案に同意した。これに先立ち、反対党はメルケル首相を激しく批判し、脱原発に異議を申し立てた。
原子力法の変更に賛成は513票、反対は79票、保留8票で、左派の議席は76である。
8つの原発は即時停止、その他の新しい原発は2022年までに段階的に停止される。フクシマの災害の結果、2010年秋に決議された寿命延長は元に戻された。
SPDと緑の党はエネルギー変革法に賛成しなかった。理由はかれらの目標はエコ電力を現在の19%から35%にあげるのは少なすぎ、2020年までに40%にすることを要求している。
緑の党のトップは新しい脱原発決議における反原発運動の貢献をとくに挙げている。30年来、たたかう勇気をもった人々に感謝したいと。
左派党は脱原発を基本法にきちんと書くことを要求している。今の脱原発は往復切符であり、2014年までに変更が可能である。
2011年6月30日
(連邦議会はエネルギー変革に同意)
長いお別れに短いご挨拶
フクシマの後16週間で連邦議会は核エネルギーからの脱出に同意した。数十年のイデオロギーの議論の後の歴史的な決着である。しかし、議会は速やかに日常にもどる。
原子力法:
2022年までにすべての原発は停止される。すでに停止している8つの原発は再び電力網につながれることはない。Grafenrheinfeldは2015年、GudremmingenBha2017年、Philippsburg2は2019年、Grohnde,GundremmingenC,およびBrokdorfは2021年、Isar2,Emsland,Neckarwestheim2は2022年に停止。2013年3月までは停止原発の一つは電力不足にそなえて冷温停止される。
気候およびエネルギー基金:
この基金は寿命延長によるコンツェルンの追加利益から支出すべきである。(中略)2012年には連邦の準備金からの基金は7億ユーロ(800億円)になる。この基金は気候保全、およえびエネルギーシステムの置き換えに融資される。これに加え、電気自動車(日本の電気自動車の概念に加えヨーロッパでは軌道乗り入れの電気自動車など幅広い概念)の需要,効率上昇、節電、エネルギー効率の良い住宅リフォームから、電力多消費企業の免責まで年間5億ユーロが含まれる。
再生可能エネルギー:
遅くとも2022年までにドイツのエコ電力割合を倍増し32%をエコ電力にすべきである。(もちろん節電により10%の削減がなされるべきである)この目標に到達するために再生エネルギーの強化が必要である。海上に建設される風車で作られる電力は、予定される陸上での風車の縮小以上に供給することで元に戻る。同時にソーラー設備に対する需要にも有効である。それは最近決められた水準にとどまる。新法はバイオエネルギーの複合需要も含む。
エネルギー効率的なリフォーム:
比較可能な新築住宅よりも少なくとも15%エネルギー消費が少ないという前提で、課税の際費用を主張できる。
電力網、エネルギー経済法:
これによって北部から南部へ風力電力を輸送できる。この電力網は拡張されなければならず、(議会の)スピーチでは数千kmになる。自治体は高圧線キロメートルあたり4万ユーロを受領可能。年間6000キロワット以上の消費者は新配電網「intelligente Zaeler」を立ち上げねばならない。それは電力消費のコントロールを容易にする。
2011年7月1日
(原子力の歴史)
進歩の終わりに
かつて原子力は賛成されていた。それは永久に電力をだし、不毛の地を反映させるにちがいない。そして疑いがやってきた。緑の党、そしてフクシマ。
2011年7月2日
(エネルギー変革)
Kauder(CDU・CSU連合の委員長)はWulff(大統領)の批判を拒否
エネルギー変革における連合とFDPのやり方についてのWullf大統領の批判は黒=黄連立政権における無理解で押し返された。Wullf大統領は「このような基本的な方向変換に対して党大会の必要性を感じていた。
2011年7月2日
(エネルギー変革)
だれも正しくはない
原発反対のデモのについて一人の参加者は「われわれは一度も正しいと認められようとは思わない。彼らはそれでも正しいと認められるのか?そしてフクシマは証拠として役立っている。
2011年7月2日
(エネルギー変革)
RWEのトップGrossmannは補償を要求している
Grossmannhaはエネルギー変革による資産の損失に相応のものを得るつもりである。不エアな補償をもとめている。モラトリアムだけで1億5000万ユーロかかっている。
2011年7月6日
(フクシマ後)
東京は原子炉のストレステストを予告
日本政府は原子力発電所に対するストレステストによって新しい信頼を得ようとしている。フクシマ後に原子力監視部門NISA(原子力安全保安院)は信用を失っている。原子力村(atmaren Dorf)の中で日本は持ちつ持たれつでやってきた。
日本の経産相海江田は水曜日(7月6日)にすべての日本の原発をいわゆるストレステストを受けさせることを予告した。日本政府はそれによって政府とその原子力監視機関の断言に対する全面的な不信に対応した。すべての日本の原子炉は安全であるという2週間前の海江田大臣の安全保障には、だれも納得しなかった。日本の原子力監視機構は信頼されていない。
フクシマの災害の前、すでに、Nisaは当時の報告のなかで日本の原子力産業のコントロールにたいして保証できないという認識が明らかであった。原子力の監視機構は経産省に所属し、フクシマ後もその使命は日本において原子力エネルギーは促進すべきであるという見解だった。日本の54基の原発の監視は二の次であり、独立の監視は保証できない。
フクシマの震災まで日本の大衆の大部分には知られていなかったことだが、原子力安全委員会と他の政府機関と電力業者は個人的な絡み合いにあった。電力業者から80人以上がNISAにつとめてそれと結びついた企業を見逃す構造にあった。経産省は電力企業に高給で退職後の高級官僚を送り込んでいた。
日本の「原子力村」には電力会社が必要とする政治家、原発企業から研究費を受け取っていた科学者、大学、そして莫大な広告費で原発企業と結びついているメディアが属している。
菅首相はすでに5月に原子力保安院を経産省から独立させちょうとしていた。まだ国際原子力機関は日本に独立性を保証することを要求した。その際、政府の原子力安全委員会も監査されるべきである。今まで義務の不履行のリストがたまっていたにもかかわらず、これら二つの機関の再編の方向性は具体的な文書としてだされていない。そして、この水曜(7月6日)には保安院の認証なしで調整運転の名のもとに二つの原子炉が4か月も運転されていたことが明らかになった。
フランクフルター・アールゲマイネ より
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フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(独: Frankfurter Allgemeine Zeitung – F.A.Z.)は、第二次世界大戦後の1949年にフランクフルト・アム・マインに再建されたドイツの新聞。略号は FAZ である。福島原発事故に関連する記事の表題と抄訳を安藤直彦会員が随時行う。 体裁を整え伊津が掲載する。