名古屋懇談会3月例会報告

日時:2008年3月15日
講師:大里 斉
参加者22名

3月例会は大里さんの名工大定年を記念して「エントロピー名古屋懇談会あれこれ」と題して名古屋懇談会の立ち上げの前史ともいうべき名工大考える会の歴史、そして大里さんの社会、研究にたいする態度などについて話をきいた。

第一部 思想形成:子供のころ隣の新聞店に掲示される原爆の写真が印象に残ったこと中学、高校時代に影響をうけた先生の話し、自由の校風で知られる旭丘高校時代に60年安保反対の五月雨デモを行ったこと、大学院時代に70年安保、学園闘争のなかで感じたことなどを話された。

第二部:名工大考える会の歴史に関すること、その前史として1973年金大中の拉致事件を契機に、1975年に寺尾光身先生を中心に教職員・学生で東亜日報を支援する会が発足し、 1975?81「韓国通信」が発行された。
在日韓国政治犯支援や研究指導在日朝鮮籍学生の呼び名などを契機として朝鮮、韓国問題を考えるようになったこと。1977年に学生からの申し入れによって寺尾先生等と「朝鮮を考える会」を結成して、スライド、映画、講演会等を通して朝
鮮問題をアッピールしたこと。原発問題に関心を持つ学生を中心に「原発を考える会」、教科書問題から「日本の今を考える会」を立ち上げ、様々な問題を工大祭等を通じて提起し、1983年に幾つかの「考える会」を発展的に統一して「名工
大考える会」ができたこと。各年次の工大祭の考える会としてのテーマ、講師などの紹介があった。

第三部:名古屋懇談会の誕生、こうした流れのなかで1987年3月名工大であった物理学会を契機としてエントロピー学会の名古屋での組織をつくることになり、浅野先生を中心に名古屋懇談会がうまれたことなどがはなされた。そして、1988年に第一回のエントロピー学会名古屋懇談会がひらかれ、以後定期的に例会を開くようになった。それ以後、工大祭では「考える会」と合同で、槌田敦さん、平井孝治さん、高木仁三郎さん、藤田祐幸さんなど招いて原発問題を中心に講演会が
開かれた。また、チェルノブイリの子供たちを救う白ロシアの子供達救援金の募集が山里真先生を中心に行われた。

さらに、大里さんの本業であるセラミックの研究の経緯、研究上の二大転機、東大での結晶学の研究と米国留学での研究・教育方法の経験など。それに関連して最近の学生の研究の態度についての考えなども話された。とくに学生の研究のやり方が、パソコンを中心に進められるようになったが、当初はランの活用でコミュニケーションが図られたが、次第に各個人のパソコンで完結するようになり、学生同士の協力・意思疎通が疎遠となる傾向に危惧を感じていること。その克服には、コミュニティの復権によりバーチャルな世界からリアルな社会へ目を向けることが必要である。嘗て、「書を捨て街にでよう」のスローガンで象牙の塔を崩壊させたように、時代を進める気概が必要である。
研究組織は従来のピラミッド型でなくマトリックス型にすることで個人の能力を発揮できるとの考えも披露された。

質疑応答では、大里さんが社会に目を向けられるようになったきっかけ、名工大考える会、エントロピー学会を含めて学生の参加率の低い理由、研究室のあり方、文系の学生は現状肯定の研究しかやっていないが、理系の学生はどうかといった問題、などについて白熱した討論がなされた。(文責 安藤)

3月例会:エントロピー名古屋懇談会あれこれ