循環型社会を実現するための20の視点

1.提案するに当たって

2001年のエントロピー学会シンポジウムのテーマは、『「循環型社会」を問う』でした。エントロピー学会はこれまで、地球上の生命と人類社会の存続を求めて、エントロピーと物質循環をキーワードに討論と活動を続けてきました。その蓄積の上に、どのような技術システム・経済システム・法と政策を展望すべきか、という基本的な問題を討論する場として、2001年のシンポジウムは企画されました。

 「循環型社会」という言葉が法律に用いられ、世をあげて錦の御旗のようになっていますが、実態はどうでしょうか。果して今後の方向性は示されているのでしょうか。成長を前提とした経済システムや大量生産、大量消費を変えようとしない技術システムの下でリサイクルに努めても、環境が良くなるとは思えません。

 下に記す「20の視点」は、最初シンポジウムでの討論の素材の一つとして実行委員会で作った案を、シンポジウムとその後の討論によって改訂して提案するものです。技術・経済・法について具体的に述べ、基本のところにも新しい考えを盛り込んでいます。エントロピー学会発足以来二十年の認識の深化を評価して下さるかどうか。いずれにしても、この20項目の整理を批判的に検討する中から、さらに前に進みたいものと考えます。
2001年(第19回)シンポジウム実行委員会

2.エントロピー論の基本的考え

1. 地球上の生命と人類社会のあり方を理解する鍵は、エントロピーである。
エントロピーとは、物質とエネルギーとをひとまとめにした拡散の度合の定量的な指標である。熱エネルギーがひとりでに伝わるのは高温の所から低温の所へであって、低温から高温への熱の移動は、電力などの消費を必要とする。その電力は、たとえば高温から低温への熱の移動なしには起こせない。物質は高濃度の場所から低濃度の場所へ拡散する。物質を濃縮するには、仕事をしなければならない。たとえば海水から真水を作るには、物理的・化学的な分離の仕事が必要となる。
 物質とエネルギーをひとまとめにして、自然界(物質の世界)の変化は拡散の度合が増す方向に起こる、ということを表現したのが「エントロピー増大の法則」である。物質やエネルギーは、社会的生産・消費の場において、外部での何らかの変化を伴わない限り(つまり,外からの目的意識的な働きかけのないかぎり)使い物になる状態から使い物にならない状態になってしまう。その意味で、エントロピーは劣化の度合の指標ともいえる。

2. 生命系の特徴はその定常性にある。「エントロピー増大の法則」の存在にもかかわらず生命系がエントロピーを一定に保って生きていられるのは、エントロピーを捨てる過程があり、そのエントロピーを受け取る環境が定常的に存在するからである。

生命系に低エントロピーの物質・エネルギーを供給し、高エントロピーの物質・エネルギーを受け取る外界が環境である。もし環境が閉じていれば、生命系との相互作用の結果環境のエントロピーが増大し、生命系に対して環境としての役割を果たしえなくなる。環境が環境として機能しうるためには、環境のエントロピーを受け取る「環境の環境」が必要である。実際、地球には階層的多重構造を持った環境があるため、生命が長期間存続してきた。
 多重構造のそれぞれのレベルにおいて、その内側を生命系(生きた系)、その外側を環境と見なすことができる。外側の環境は内側の生命系より大きく、従って変化は遅い。環境の変化が速くなると生命系はそれについてゆけず、存在が危うくなる。その意味で環境は定常的でなければならない。

3. 地球上の生命と人類社会が存続するためには、広汎な共生の体系(生態系)が、物質の循環によって、発生したエントロピーを最終的に宇宙空間への熱放射という形で最終的に廃棄できなければならない。

地球上の生命と人類社会の存続を根底で支えているのは、太陽からの低エントロピーのエネルギー(太陽光)の供給と、宇宙空間への熱放射という高エントロピーのエネルギーの廃棄である。植物はこの低エントロピーのエネルギーを高エネルギーの低エントロピー物質(炭水化物)に変え、動物に提供する。動物はその高エネルギー・低エントロピー物質と酸素を消費して、植物が利用できる形に変える。どちらの過程でも、発生するエントロピーを生命系外に廃棄するのに、またそれを宇宙空間に熱放射できるところに運ぶのに、低エネルギーの低エントロピー物質である水が必要である。

4. 生態系とは,高エネルギー・低エントロピー物質の利用の連鎖によって循環的に連なった、広汎な共生の体系である。循環(物質循環と状態循環)が生態系の維持にとって基本的に重要である。

生命・環境系のそれぞれのレベルにおけるエントロピー廃棄の過程を担うのが、循環である。生命系の状態は一定不変ではなく、昼夜・季節といった太陽の運行に由来する状態の循環によってその定常性を保っている。状態が循環するためには、物質が循環しなければならない。光合成によって植物が固定した炭素が、さまざまな過程を経て、二酸化炭素になって戻るように。

5. 自然の循環と生命系の活動・多様なあり方とを壊すような人間の活動は、きびしく制限されなくてはならない。

自然の循環が生命系の活動とその多様なあり方を支え、生命系の活動とその多様なあり方が自然の循環を支えている。生命はその発生以来、数十億年にわたるその潜在的多様性の展開・実現の結果,現在のような多様なあり方を示すに至っている。その長い過程には、次の3つの条件が基盤にあった。(1)原子核の基本的安定性、(2)生命起源の有機物の安定性、 (3) 細胞核(遺伝子)の基本的安定性。人間の社会的営為の中でこの3条件が損なわれてきた状況が、今日の環境問題・公害問題の根底にある。

3. 技術と生産活動のあり方
6. 技術はエントロピーの法則に規定される。
生産活動は、資源とエネルギーを用いて、人間に有用な(多くの場合エントロピーを減少させた)製品を作り出す。しかし、その結果として同時に、有用性の低い高エントロピーの廃物を必然的に作り出す。これは避けることのできない法則である。多様な生態系に頼らずにすべての廃棄物を人為的に元に戻す「逆工場」や「ゼロエミッション」は原理的に不可能である。

7. 地下から鉱石や化石燃料を掘り出し使用することは最小限にとどめ、適切に管理し、有効かつ公正に活用しなければならない。

地下資源を用いた後には必ず、エントロピーの大きい、使い物にならない廃物が残って生態系を損傷し、自然の物質循環システムを破壊する。自然界に拡散したエントロピーの大きい有害物質(たとえば大気に放出された鉛や海水中に拡散した水銀)を回収することは極めて困難である。また、資源の継続的な大量使用は原料の枯渇・品位の低下をもたらす。そのため、採取の過程でより多くの有害物質が生態系に放出される。
 このように環境負荷をもたらす地下資源の利用は最小限にとどめ、かつ環境負荷を減らす技術的な努力が必要である。しかし、どこまでどれ位のスピードまで減らさねばならないのか、現状の環境破壊がどういう結果になるか、地球の環境的な限界についてわれわれは的確な知識を持ち合わせていない。それ故に、なおさら控え目に使うことが求められる。
 現状の地下資源の利用は著しく公正を欠いている。全世界の人口の5%に満たぬアメリカ合衆国が、全エネルギーの25%以上を消費している。日本を含むいわゆる先進国地域が地下資源を過大に消費していることは明白である。

8. 自然界にない化学物質を人工的に作り出し利用することは最小限にとどめ、適切に管理し、有効かつ公正に活用しなければならない。原子力や遺伝子操作の商業利用は厳しく制限されねばならない。

自然界にない物質は自然界の物質循環システムに適合しない可能性が高く、また、未だ知られていない毒性をもつ危険性がある。特に、19世紀半ば以降現代にいたる有機化学の発展によって生み出された10万種類もの化学物質、20世紀半ばの原子力エネルギーの解放にともなう人工放射性物質、遺伝子操作によって生まれた種の壁を越えた新しい生命体は、いずれも自然界の安定性を破るものとして重大な懸念がある。
 自然界の安定性を破壊する物質は、循環させずに閉じこめなければならない。しかし、放射性物質や環境ホルモンのような、極微量で生命系に対して著しい作用をもたらす物質を完全に閉じこめる事は不可能である。そのような物質を産出してはならない。元に戻すことが不可能な大量の核廃棄物を生み出す、原子力発電が循環型社会と相容れないことは明らかである。

9. リサイクルは循環型社会実現の一手段に過ぎない。リサイクルは万能ではない。

リサイクルは、資源の節約、エネルギー消費の節約、有害物質の排出の低減、ごみの減量に役立つ場合もあるが、そうならないケースも少なくない。用途に応じて混ぜたもの(添加物や合金)や使い古したものを元に戻すには、物理的・化学的な分離のための仕事(手間やエネルギー)が必要である。一般にリサイクルに適した材料(金属など)とあまり適さない材料(プラスティックスなど)があり、また、いろいろな物質や元素を添加したり、複合化したり、塗装した材料はリサイクルに適さない。
 製品設計の考え方も重要である。リサイクルを考慮して毒性の生じないような素材を用い、軽量で分解が容易な設計としなければならない。特に、有害物質の排除は環境負荷の低いリサイクルを実現する上での鍵となる。現在、リサイクルは多くの困難に直面しており、材料選択や物づくりの考え方を根本から見直す必要がある。

10. 大量生産・大量消費・大量リサイクルからの脱却が基本である。地域での物質循環を崩壊させるグローバリゼーションでなく、地域を基礎とした生産システムへの転換が実現されねばならない。

大量生産・大量消費は大量廃棄を生む。廃棄せずリサイクルにまわしても、それらはいずれ廃棄物になる。製品を長寿命化し、再利用をしやすいものを作り、廃物を利用しあって「ごみ」を減らすことを実現して行かねばならない。
 大量の原料や製品を地球規模で移動させることは大量輸送による多大な環境負荷を生んでいるだけでなく、生産地・消費地双方の環境を著しく破壊している。このような現状から脱却するには地域での物質循環を基本とした物流を作ることが重要である。そのためには、太陽光と水と土、自然の循環を基礎とした産業(農業・林業・漁業など)を復権し、工業にあってもそれらとの結合を図ってゆかねばならない。

4.経済と人間活動のあり方
11. 市場経済はエントロピー処理機構を持たない非自立的なシステムである。

人間の経済活動によって発生するエントロピーは、かつては自然の浄化作用を通して処理されてきた。近代の市場経済もまた、自然の浄化能力をただで利用してきた。環境問題は自然の浄化能力を超えた廃熱・廃物の排出によって生じており、自然の浄化能力それ自体が今では稀少資源化している。したがって、本来であれば自然の浄化能力(エントロピー処理機構)もまた市場取引の対象とされなければならない。ところが、自然の浄化能力には特定の所有者がいるわけではないので、市場取引の対象とはなりにくい。その結果市場経済システムは、エントロピー処理機構を自らに内部化することなく発展を続けてきた。

12. 市場でできる事とできない事とは明確に区別しなければならない。

かりに自然の浄化能力に所有権が与えられるとすれば、その対象となるのは個人ではなく社会である。したがって、自然の浄化能力の使用に対する代価を設定する場合、通常の商品のように市場原理に任せることはできない。たとえば、二酸化炭素排出量取引制度は、CO2排出許容量(自然の浄化能力の使用権のひとつ)を稀少資源とみなして商品化しようという試みである。また、環境税も、商品価格の中に環境コストを内部化することによって、環境と市場経済との整合性を図ろうとする試みといえる。だが、いずれの場合も、個人間の自由な取引ではなく、市場の外部での政治的社会的な制度作り(たとえば、公害反対運動のような住民運動や市民運動を通して)があらかじめ必要とされる。自然の浄化作用の代価は、自由競争ではなく社会的な合意によって、基準が設けられるのである。

13. 市場でできないことは非市場的な人間活動に任せるべきである。

物質循環と経済循環とは常に一致するとは限らない。たとえば、農家は農産物を売った代金を回収して次年度の投資に充てる事ができるが、他方、売った農産物が肥料となってまたもとの農地に戻ってくるわけではない。もし、経済循環を物質循環に近づけようとするなら、物質の資源としての利用を地域社会に限定するとか、リサイクル率を高めるような地域経済の構築が必要とされよう。そのためには、共有地の管理、近隣社会における相互扶助など、コミュニティの中で形成されてきた非市場的な人間活動のネットワークのなかに、経済の相当部分を埋め戻すことが重要である。

14. 非市場経済は社会的存在としての人間関係の中に埋め込まれている。

かつて、経済を非市場的な人間関係の中に埋め込む役割を担っていたのは地域共同体であった。しかし、それは近代社会の発展と共に崩壊しつつある。したがって、持続可能な非市場経済を追求しようとするならば、伝統的な共同体に代わる新たな制度的な枠組みが必要となる。たとえば、非営利的な互助活動をベースにした法人や協同組織、都市住民と農村住民との間に形成される産直提携ネットワーク、近隣住民どうしの財やサービスのやり取りを可能とする地域通貨システムなどである。その上で、地域の富を稀少資源としてでなく、地域社会の共有財産であるコモンズとして再定義し、管理していくことが重要である。

 利己心に基づいて行動する孤立した個人や営利団体に代わって、等身大の地域社会に住む生活者と非営利団体が、主体として姿を現わさねばならない。互いに人権を尊重しあう社会は、そこで始めて形成されよう。

15. 広義の経済学の課題は生命系の経済(循環経済)の構築にある。

経済学は富の生産と分配に関わる学問として発展してきた。だが、経済成長を前提とする狭義の経済学では環境への負荷を減らす方向性を打ち出すことができない。本来、富の生産も分配も、人間の生命の営みを維持するための手段に過ぎないのだから、生命系を破壊するような富の増大は抑制されなければならない。ここで、物質循環と経済循環とを重ね合わせた広義の経済を「循環経済」と呼ぶなら、広義の経済学は、富の所有(having)ではなく、生命の営み(doing, being)により大きな価値をおくことになる。

5.法・政策と社会のあり方
16. 循環型社会形成推進基本法は、大量生産と大量消費を支えてきた技術と経済を前提にしており、廃棄物処理・リサイクルもまた、そのような制約条件の範囲内に限定されている。

2000年6月に施行された「循環型社会形成推進基本法」(以下、「基本法」という)が、廃棄物について、従来のような排出者の責任のみならず、生産した製品が使用・廃棄された後の処理について、生産者が引き取り、リサイクルなどの責任を負う「拡大生産者責任」概念を導入した点は、一定の評価に値しよう。過剰な生産活動を抑制するには、廃棄に伴う環境負荷を生産者にフィードバックし、内部経済化することが第一歩だからである。
 しかし、「基本法」は、次項以下で説明するように、「循環資源」の「循環的な利用」を「技術的・経済的に可能な範囲」に制限し、「拡大生産者責任」の適用範囲を狭く限定するなど、現行の大量生産、大量消費システムの範囲内で廃棄物減量の努力を推し進めようとしているに過ぎず、「循環型社会」のビジョンを積極的に描くものではない。

17. 廃棄物をどう処理すべきかについてきちんとした評価をするとともに、生産に遡った廃棄物対策の改善を明らかにするシステムが必要である。

「基本法」では、循環の「基本原則」(7条)で廃棄・リサイクル処理の優先順位を初めて法定し、?発生抑制 ?再使用 ?再生利用 ?熱利用 ?適正処分の順位で処理するものとした。だが、同時に、「技術的および経済的に可能な範囲で」高順位の処理をする、という限界を、判定基準を明らかにすることなく設けた。このため、技術的ないし経済的に不可能だという名目で現状を追認し、容易に低順位の処理を是認してしまう欠点がある。とりわけ、すべての方法が不可能な場合は「適正に処分」しても構わない、と従来どおりの埋立廃棄処分をも排除していない。
 個々の物質や製品について最適な処理方法を選択するためには、エントロピー論の視点から総体的に評価するしくみが必要である。再生利用が熱利用より多くの環境負荷を与えるような場合もあるので、どのような処理が適切かについて具体的に検討し、評価しなければならない。

18. 廃棄抑制の基本は生産それ自体の抑制である。とりわけ、リサイクルも廃棄もできない有害な処理困難物は生産の抑制を図るべきである。

「基本法」は、廃棄抑制に関する経済的負担促進への施策を国の責務としているが、デポジット制を広く導入するなど、不要な生産の抑制と再使用を経済面で促すような対策を図るべきである。また、事業者が違法に不適正な処理を行わないように、行政が関与するしくみも考えられなければならない。不法投棄の事後処理対策や広域の監視は、労力が大きすぎる。
 また「基本法」では、再生・リサイクルできない有害な処理困難物を生産した責任を問うことがない。有害な処理困難物はそれ自体を生産しないこと以外に解決法はないが、そのような根本的な生産活動規制は「基本法」の中でも触れられず、その道筋はまだ日本の法体制に明示されていない。有害な処理困難物は原則製造禁止とし、どうしても必要なものについては生産者において回収・管理するシステムを確立すべきである。

19. 廃棄物の適正処理・リサイクル等の責任は、廃棄物となる製品を生産した者が持つこと(拡大生産者責任)を基本にし、リサイクル費用もまた、生産者の負担とすべきである。

「容器包装リサイクル法」(2000年4月完全施行)は、事業者に容器包装廃棄物をリサイクルに回す義務を課した。しかし廃棄物の回収・保管自体は自治体の役割として残され、リサイクルに要する費用は行政の負担が大きく事業者の負担はごく一部になっている。「家電リサイクル法」(2001年4月完全施行)でも、リサイクル費用負担の問題が残っている。販売時に値段に上乗せするのではなく、廃棄時に消費者から料金を徴収するため、経済的に生産活動の抑制が図られず、他方で不法投棄を誘発している。後からできた上位法である「基本法」においても、費用負担の問題は棚上げされたままだ。「拡大生産者責任」を徹底して廃棄物処理の適正化への努力を引き出し、不法投棄を防ぐ必要がある。

20. 「循環型社会」の形成を目指す政策は、生態系を維持する自然の循環を基本とし、この循環を途切れさせて大量に廃棄物を生み出してきた従来の経済・社会システムを変革するものでなければならない。

大量生産・大量消費社会に手をつけないまま廃棄物対策を行う、という発想には限界がある。「生産」されたものは、リサイクルされるにせよ、いずれ「廃棄」されるのであり、それが自然の循環に戻らなければ、環境中に残される。自然生態系を視野に入れ、それと適合した範囲・速度で経済活動を行うという視点が必要である。具体的には、二酸化炭素の排出量や漁獲量の制限、樹木伐採を森林の更新可能な範囲にするなどの規制が考えられる。逆に、日本国内の森林資源などのように、適度の伐採を行って積極的に活用することにより、豊かな生態系を取り戻すことができる場合がある。
 より根源的には、経済成長率を尺度とした景気の良し悪しで評価される社会ではなく、生活の必要性に立脚した経済・社会を構築することが求められる。個人主義の徹底と商品交換経済への適合を基準とした近代法の体系もまた、骨格を変えなければならない。