エントロピー学会 第27回シンポジウム(2009年9月20〜21日 於 国学院大学)

「グルーバル危機へのローカルからの挑戦?生命と暮らしの視点から?」

市場原理主義と金融権力に蹂躙された20年
昨年9月のリーマンブラザーズの破綻を契機に世界に拡大した金融危機は震源地のアメリカをはじめすべての国々を巻き込み、今なお深化しつつある。この危機の構造は1980年代以降英米が旗手となって進行した市場原理主義に基づくグローバル・スタンダードの「強制」に端を発する。ケインズ主義から市場原理主義への移行は英米が先行し、日本など先進資本主義諸国に続き中進国も追随せざるを得なくなっている。危機は短期的には財政の膨張と硬直化の反動として登場して来たようにみえるが、本質的には金融を媒介にして他人の生産物を収奪する腐朽段階に入った資本主義の先祖返り、最期のあがきとして登場したのだといえる。とくに世界の基軸通貨であるドルに依拠して国を挙げて金融立国をめざすアメリカは、増大する貿易赤字を海外からの資金流入によって補うとともに、消費を加速してきた。

アメリカにおける生産の象徴というべき自動車生産もその例外ではなかった。産業の中の産業といわれた自動車産業それ自体が、住宅産業と同様のねずみ講的金融に支えられて需要を先食いし、世界に冠たるGMは今や凋落した。アメリカへの輸出に依存してきた日本や中国、韓国、台湾、東南アジア諸国は内需拡大へと舵を取りつつあるが、日本政府の動きは鈍く、財政が破綻状態にある中で従来のような内需拡大策は、問題を先送りするだけで解決策とはなりえない。

80年代以降のグローバリゼーションの浸透とともに社会の活性化のためと称してあらゆる場面で規制緩和が強制され、社会的格差が拡大してきた。そこに金融危機が勃発し、それまでは部分的であった日本や先進諸国においても格差は雇用破壊として一挙に噴出している。とりわけセーフティネットの整備が遅れた日本の状況はすべてが後手に回っている。

英米の金融立国的な道はすでに破綻しており、「自由放任・小さな政府」を掲げた英米の金融資本、大企業は皮肉にも(マルクスの予言通り?)実質的に国有化された。この傾向は今後も続くであろうが、問題は個別銀行資本や証券、投資会社のなどの破綻にあるのではない。政府・官僚と一体となった金融資本(本山美彦氏のいう「金融権力」)が世界中を蹂躙した結果、最もひどい状況に貶められたのが、社会的には最下層におかれた人々であり、生産過程の末端で働く労働者であるということである。また、金融権力は穀物や石油などを最終的な利益源泉のターゲットにしたため、それらの価格は高騰し、格差に苦しむ人々は、雇用の機会を奪われると同時に住宅や生活必需品にさえ不自由し、二重、三重の困難にさらされている。今や憲法で保障されている基本的人権さえ脅かされる状況にある。

地域からグローバリゼーションに立ち向かう人々
今日直面する危機は予想以上に急激に進行しているが、決して予測できなかったことではないし、日常生活の視点から批判する人も少なくなかった。中小の企業労働者や非正規労働者の雇用を守るユニオン系の労働運動しかり、安全な食料を安定的に確保しようとする有機農業や地域の資源を生かす「地産地消」の運動しかり、石油など輸入資源への依存を減らし、巨大事故の危険性と処理不能の放射性廃棄物をともなう原子力発電でなく、太陽光や風力などの分散型の自然エネルギーの普及を目指す運動しかり、廃棄物を減らし毒物をばらまかないためのリサイクル運動しかり、また地域内でのみ使用される地域通貨による地域おこしの運動など、さまざまな形で民衆はグローバリズムにしなやかに対抗してきた。無論それぞれの実践活動には地域的な条件や個別の事情をふまえる必要があるけれども、グローバル・スタンダードとは異なる位相をもち、そこには独自の共生理念と自立の思想が貫かれている。それは自らの活動を通して行う主体的な実践であり、あるいは手作りで楽しみながら行う活動でもある。

今回のシンポジウムにおいては、地域やそれぞれの現場で、グローバルな流れに翻弄されない自律的な生き方を実践している人々からの活動報告や、またそうした活動を普遍的なものにするための方法論を模索している方々の報告を受けて議論を行いたい。本シンポジウムを通して、生活者の視点から基本的に必要な食料やエネルギー、物などをどのように作り流通させていけばよいのか、押し寄せるグローバリゼーションにどのように立ち向かい、また折り合いをつけながら如何に民衆の生活を守っていくか、さらにそのための社会関係、地域の連関をどのように組織していけばよいか、そうした議論を通して持続可能で平和な社会を築く方途についてともに考えてみようではないか。

かつて日本の急激な近代化過程において、その暴力的な産業化と闘い、終生鉱毒被害民の立場に立って文明のあり方を告発し続けた田中正造は、次のように述べている。

「物質上、人工人為の進歩のみを以てせバ社会は暗黒なり。デンキ開ケテ、世見暗夜となれり。然れども物質の進歩を怖るゝ勿れ。此進歩より更ニ数歩すゝめたる天然及無形の精神的の発達をすゝめバ、所謂文質彬々知徳兼備なり。日本の文明、今や質あり文なし、知あり徳なきに苦むなり。悔改めざれバ亡びん。今已に亡びツヽあり。否已ニ亡びたり。」(1913年7月21日の日記 『全集』13-532)

技術進歩と大量生産や効率性こそが、今日の危機を突破する手段であると考える愚かさを歴史の彼方から見抜いている。

エントロピー学会第27回シンポジウム実行委員長 菅井 益郎